付加価値のない自動車会

~副題 クルマだらけの間違いづくし~

4ATはおりこうさん

常にアメ車と共に暮らしていたい。だが、現実的にはそうもいかない。何がクルマかって家計が火の車なの。そんな事情で今乗っているのは国産大衆車。新車で買って13年12万キロを迎えた。車検の度に買い替えも考えている。何にも付いていない「白いTシャツのようなプレーン」なクルマが好きだから商用車を中心にクルマ選びをすることになる。白いカッターシャツを着たフリートユーザーとどこも違わないからディーラーマンも薄気味悪く感じている。ところが最近、商用車にもCVTの波が押し寄せて来ているので私は困っている。

旧式人間は3AT、4ATがお好き。ただ毛嫌いしているわけではなく、以前乗っていた2003年型のスバル・プレオ・ネスタが無段変速だったのだが、巷で言われているような「シームレス」な感じもそれほど受けること無く、あまり好きになれなかった。今のCVTはもっと進化しているだろうし、新しい技術だから良いに決まっているわけだが、結局「こんなの要らない」となってしまい、新車検討はいつも中止。「やっぱり車検時に悪いところ直して乗ろう」を繰り返すことになっている。そのうち、マチャアキさんと「ミッレ・ミリア」でランデブー走行ができるかも知れない。

今は茨城県の北部に住んでいて、全然田舎ではないが隣町に行くにもちょっとした峠を越えることもある。長い坂をかけ下りる。スピードはみるみる上昇。カーブ(コーナーなんて言わないぞ)に差し掛かる手前でブレーキを踏む。ふん「スローイン・ファーストアウト」のセオリーどおりだ。するとギヤは自動的に4速から3速にダウンシフト。3速でもアクセルは全閉だから燃料はカットオフされているはずだ。

「キックダウン」のことは小学生の頃から知っている。初期型のケンメリ2000GTセダンのAT車に乗っていたお父さんが教えてくれた。しかし加速時だけでなく、減速したい時にこんなに上手にギヤを落としてくれる、なんて頭の良いトランスミッションなんだと今頃になり毎回感心してしまう。「そんなの当たり前だろ」と言われてしまうかも知れない。だが東京都内の道には200mおきに信号があるから意識したことがなかった。今はギヤをカチャカチャいじらずATに任して人間の代わりにやってくれることを実感して楽しんでいるのだ。

こんな大発明はどのようにして生まれたのか。現在のATの原型は1939年(昭和14年)にゼネラルモーターズオールズモビルに搭載して発売した「HYDRA-MATIC DRIVE」であると言われている。これは色んなところに書かれているので歴史はわかるのだが、一番知りたい肝心な部分は、誰の発想なのかということ。いったいどんな知識と技術を持った人が、何をヒントに「完全自動変速の機構が作れそうなのでは」と考えるに至ったかが私にとっての大問題。

グランプリ出版再登場。2006年、守本佳郎さんという元ジヤトコさんの設計士が出された「ATの変速機構及び制御入門」を読み返してみた。「制御とは」から始まり難しい公式とか性能曲線図が出てきて、私のために書かれていないことだけが理解できた。ならばと、「オートマチック車のドライビング」という昭和54年(西暦で書かれていない時代の本。1979年だった)、池田英三さんという方の山海堂の本を見てみようっと。これによると、最初はクラッチ操作をどのようにして省くかが発端だったようだ。1912年(大正元年)にドイツのバウアという人物が油の性質を利用した流体クラッチ(流体継手)を発明した。バウアの詳細が見つからなかったが、流体クラッチは同国のヴルカン造船所が発明したとウィキペディアには書かれていた。流体クラッチが普及すると今度は手動変速の部分まで自動化しようとなったらしく、「HYDRA-MATIC DRIVE」の開発に繋がっていったらしい。こう考えると、やはり制御と油圧の研究者達が技術を応用していったのだろうか。アメリカのウェブサイトをくまなく調べれば出てくるのかも知れない。こういうものこそ回想録が残されていて欲しい。

とはいえ、文系というかこじらせ系の私が考えることでもないので、そんな時間があるなら買えもしないアメ車くん達の中古車をネット検索するぞ。あんまり古いのは高いから高年式車を見ていこう。おー、青木功のセビルも、それからコンコースもドゥビルも、クライスラー300M(栄光を背負ったレターシリーズ「C」ではなくFFの丸っこいやつ)も、FOXマスタングもみ~んな4ATでひと安心。

一方、仕事も運気もどんどんダウンシフトしていくばかりだ。思えば一度たりともオーバードライブに入った気がしない。