付加価値のない自動車会

~副題 クルマだらけの間違いづくし~

サスペンス小説 リスボン馬車博物館籠城

ただでもビジュアルも無く文字面だらけな上に、人におせーて、おせーてとせがむだけではいけない。人様に知識を授けるブログにしなくては。ということで今日の話題は馬車。「えー、クルマのブログに来たのに馬車?めんどくせぇ」とか言って帰らずに、まあ聞きなさいっつーの。

2002年頃だったかポルトガルを観光旅行した。訪れたのはリスボンポルトガル語では「リズボア」と言います。そうあのマカオグランプリに出てくる「リズボアコーナー」と同じ。普通は民族音楽だ、グルメだとなるが男がまず向かうべきはエストリルサーキット。リスボンから近郊電車に揺られ、その後バスに乗り辿り着いた。平日でレースはやっていないのは知っていたけれど、見てビックリというかガックシというか、こんなこと言って申し訳ないが、30年以上前のアメニティ感ゼロだったころの筑波サーキットが眩しく見えるほど、エストリルサーキットが... ここでF1をやっていたのか。しかしそれでもセナが走っていた時代、場所に俺はいるのだ。

はい次。リスボン市内。「国立馬車博物館」を訪問。馬車に一切の興味なし。馬にも興味なし。乗馬もやらなければ、競馬もやらない。生き様自体がギャンブル。行った理由が思い出せない。たぶん、馬車づくりの職人がやがて自動車づくりを担うようになったというロマンか何かだろう。さっと一回りしてショッピングモールに行ってみよう。

ヨーロッパの近代の馬車の起源は14世紀のハンガリーにあるようなことが展示パネルに書かれていた。KotzかKotszか正しい綴りは覚えていない。馬車づくりが盛んだった地域の名前が転訛して、スペイン語でクルマを意味する「coche(コチェ)」や「コーチビルダー」「日産キャラバンコーチ」などの「coach」の語源となったそうだ。いやいや冒頭の展示物からハートを鷲掴みかこりゃ。

王様がパレードで乗るような豪華絢爛な4輪の馬車は現代のリムジンを彷彿とさせるし、その一方でスポーツや余興、街中のランナバウト(これはどういう意味だ?)的に使うための軽快な馬車は2輪でドアが無く、オープン2シーターそのもの。「ベビーバード」と呼ばれる初期のフォードサンダーバードのオペラウインドウや、’60年代中期のランドゥトップに付いてる馬車の飾りみたいなものもここから来ているのがわかった。後期の馬車には現代のものと全く同じ構造のリーフサスペンションが。

ところで自動車の足回りをなんでサスペンションって言うか知ってますか。クルマのサスに「吊ってる、吊られている」イメージって無いんだよな。どちらかと言うと、下からボディを支えているような感じがする。でも「バネ下重量」がどうとか言われているから、やっぱり吊り下げられているのかな。結構疑問だったこれ、馬車博物館が解決してくれます。

分かりやすいことを分かりにくく説明しよう。まず、親日でも全日でもいいのでプロレスのリングを思い浮かべてください。次に、中央、そうゴングが鳴って両者がにらみ合いながらくるくる回る辺りに、時代劇に出てくるエッサホイサの人が乗る籠をおいてください。このままちゃぶ台を引っくり返すようにリングを傾けるとどうなりますか。籠が倒れちゃうでしょ。

次に、耳に手を当ててパフォーマンスをするコーナポストの上に紐をくっ付けてください。4つのコーナーポスト全部です。コーナーポストから紐を引っ張ってきて、中央に置いてある籠に結び、4箇所から吊り上げて籠を宙に浮かせてください。その状態で、ちゃぶ台を引っくり返すようにリングを傾けるとどうなりますか。ある程度のところまでは、土台が傾いても籠は水平ですよね。

これがサスペンションの原型みたいです。乗るところの箱部分を四隅の支柱から川のベルトで吊し上げていたのでサスペンションです。最初は箱の上の方にベルトが連結されていたみたいです。昔、険しい山岳地帯を馬車で通ろうとすると、傾いたシャーシーごとキャビンもひっくり返ってしまったそう。「遊園地のビックリハウスみたいだ!」と喜ぶ人はいるかもしれませんが、しょっちゅうこんなことをしてたら、国王のヅラが取れて威厳を損ねたり、王女様の手鏡がどっかに飛んでいってしまったりして大変だったのでしょう。

あれから20年近く。腹回りがどでかくなり、LLのズボンは3Lへ。そして今や、クソもミソも一緒の「大きいサイズコーナー」にしかない4Lだけが唯一の選択肢。もう少しでサスペンダーだ。