付加価値のない自動車会

~副題 クルマだらけの間違いづくし~

Runs great!

今住んでいるのは茨城県の北部の市。街の真ん中を貫く様に国道が走っている。さすがに「クルマ社会」だ。数キロの間のロードサイドに国内全メーカーのディーラーが立ち並ぶ。さらに個人経営の中古車店と整備工場は数えきれないほどあると言っていい。個人の店先で道路に向けて並べられた中古車は、ディーラーの店頭には置かれないような中途半端に古いものばかりだ 。それらの前を通過する度に私の目を楽しませてくれる。本当は自転車かファミリーバイク(久々に聞く言い回しだが)を買って、休日に一軒一軒外から眺めてみたいものだが、今は一瞬にしてクルマで目の前を通り過ぎるだけである。

時々、かなり気になるモデルにもお目にかかることができる。家に帰り、あの店で見かけたクルマを探そうとネットで調べても、店のホームページは無く、『カーセンサーnet』にも『グーネット』にも掲載されておらず、地元で流通している中古車情報誌にも出てこない。店を訪れてみるしかその個体について知る術はないのである。

特に整備工場の店頭に並べられたクルマには値段が貼られていないものも沢山ある。こちらが勝手に興味を持っているだけであって、あれはいったい売り物なのか? それとも部品取り車なのか。一年以上も微動だにせず置かれてあるものがあるかと思えば、気が付くと店頭から消えているものもある。人伝に知り合いが買っていったのだろうか。中には敷地いっぱいに50台は優に越えるであろうクルマが所狭しと並べられていて、「ご主人が廃業したら、このクルマをどうやって片付けるのだろう」と余計な心配をしてしまうが本当に大きなお世話である。あれは売れた方が良いのか。いや、大切にとっておきたいものなのだろうか。果たしてどっちなんだ。そのうち、地元のクルマ屋さんと親しくなれたら、いったいどういうつもりでいるのか訊いてみたいところである。

今はネットで中古車を検索すれば、1台のクルマに20~30ショットの写真が掲載されているからとても便利だ。しかし、その裏返しとして掲載する側は更新するのが大変だろう。中古車店は売ることが仕事であるから、仕入れたクルマを掃除し、あらゆる角度から写真を撮ってアップロードするのは苦では無いかも知れない。しかし、整備や板金塗装を生業としている会社にとっては時間的に大きな負担となってしまうのではないだろうか。ネットが無い時代、我々は中古車雑誌に掲載されているたった1枚の写真から夢を膨らまし、1ページ1ページ、1台1台、目を皿のようにして見たものだ。今は昔と比べて、中古車のメディアに1台のクルマを掲載しようとすると、サービスが充実している反面、掲載料金も上がっているのだろうか。

中古車の個人売買が盛んなアメリカには『AUTO TRADER』という雑誌があった。「あった」と過去形で書いているのは、インターネットの時代、未だに紙媒体が存在しているのか、久しくアメリカを訪れていない私にはわからないからだ。昔はアメリカに行くとアメ車好きの友人向けの立派なお土産にもなったし、アメ車を扱っているショップに行くと、そこら辺に転がっていたからよくもらって帰っていた。日本で言う、クルマ・バイク雑誌の「売りたし・買いたしコーナー」欄が一冊の雑誌となっているだけである。新聞紙よりも劣った粗い紙質のページに個人が投稿する一枚の写真が載っているにすぎない。写真のアングルもばらばらだ。最低限度のスペックが記されている。年式とマイル数、大抵の締め括りは「Runs great!」である。「great」なんて書いてあっても割り引いて聞いた方がよい。「走ります」くらいの程度だろう。中には「Runs」も目にする。これなどは辛うじて自走するのか、車輪が転がりますと言っているくらいのレベルなのかわからない。いずれにしても話が合えば見に行って、あとはコンディションに基づいて値段を交渉するだけだ。なので例えば「$500 OBO」と書いてあり、「or best offer」は日本流に言うところの「応談」ということだから、値引きをしてくれる可能性がある。個人が売るわけだから基本的に現状渡しである。

20代の前半、カネは無いのにアメリカ車のクルマ屋さんとのコネクションがあったから、3万円でボロボロの’76年型のクライスラーコルドバを譲ってもらった。現状車どころではない。ラスティペイントではなく本当に錆びてボディの一部が朽ち果てていた。そんなにボロいのならと、フロントウィンドウの右上の端に白いペイントマーカーで「$275 OBO」と斜めに記しアメリカの解体車をもじって楽しんだ。

今の日本で「現状渡し車」の情報は流通しているのだろうか。既にリサイクルパーツやオークションの領域では、そのようなネットワークが確立されているのかもしれない。しかし、既に存在していたとしても、一般人の誰もがアクセスできるような形には整っていない。ネット上でも紙媒体のどちらでもよいから、日本で昔の紙媒体の時代の『AUTO TRADER』のようなものがあるとすれば成立するだろうか。日本の場合、売り手は個人ではなく、修理工場や板金塗装、タイヤ屋さんなどにする。掲載写真はたった一枚でよい。却って一枚に限定してしまうという手もある。手間もかからず、しかも掲載料金を激安にしておくためだ。興味のある人から連絡が入ってから初めてリクエストに応じて詳細な情報や写真などを問い合わせ者に提供すればよい。現状渡し車専門の媒体としての共通認識が醸成されれば、掃除したり磨く必要もないし、商売人としての最低限の対応をしている限り、キッズゾーンもサラダ油のプレゼントも風船を配っておどけたりしなくてもよい。

外からやってきた人間が事情もわからずに勝手なことを言うものではないことは解っている。しかし、私は純粋にもっと自分自身が安価なクルマを見つけて、少しずつ掃除したり、磨いたり、整備に出して、リーズナブルにちょっと古いクルマを楽しみたいだけである。また、お店側が「売ってもいい」という姿勢ならば、1万円でも3万円でも5万円でも思わぬ収入を得ることで地元企業が豊かになるのではないかと願うからである。

私が若い頃、古本屋さんは自分の街にも規模は小さいながら幾つか存在した。しかし古着となると原宿や渋谷まで出掛けないとならなかったし、雑貨類なんかもフリーマーケットや骨董市、バザーなどの開催日を待つ必要があった。翻って今はどうだろう。『BOOK・OFF』はあるし『OFF HOUSE』などのリサイクルショップのチェーン店があちこちにあるから、いつでも不用品を売りに出せるし、骨董品としての価値は無くとも安くて面白いものを見つけることができる。

クルマも同じようにできないだろうか。もちろん、自動車をもう一台余計に持とうすれば、雑貨などとは比べ物にならない程ハードルは高くなることは理解しているつもりだ。けれども、眠っている存在を見える存在にすることで、クルマ業界に精通していない一般人にも広く知られるようになり、バカみたいに安っぽくクルマ趣味を楽しむといった新しいマーケットが創出されるのではないかと期待している。

かくゆう私も『Hobby OFF』の恩恵に与る一人である。ここでは、一般家庭でゴミ扱いされたミニカー(なんてことしてくれる)が私にとっての宝物に生まれ変わる。箱の中にごちゃ混ぜに放り込まれたB級品のミニカーを一台一台手にとっては、まるで砂金でも採るかのごとく吟味していくのだ。未就学児が近くに寄ってくると、「俺のテリトリーに入ってくんじゃねぇぞ」とばかりに目で威嚇し、「はは~ん、向こうさんはディズニートミカか。素人め」「こっちはアマい金型のミニカーから車種を割り出す高度な『仕事』してんだよぉぉぉぉぉ」と魂の咆哮を轟かせるのだ。いつも気づくと遠くに待ちくたびれ、スマホをいじる息子の姿が見えている。